2003年のトップ5 2004年のトップ10 2005年のトップ10 2006年のトップ10 2007年のトップ10 2008年〜

2007年のトップ10
  1. パンズ・ラビリンス
  2. once ダブリンの街角で
  3. ディパーテッド
  4. クィーン
  5. ルワンダの涙
  6. アポカリプト
  7. ミリキタニの猫
  8. エンジェル
  9. ウェイトレス 〜おいしい人生のつくりかた
  10. グラインドハウス

2007年はロマコメにいいのがなかった。強いてあげれば『ラブソングができるまで』だが、音楽物としては『once』のほうが良かった。コメディも不調で、この手では年末に見た『俺たちフィギュアスケーター』がまあまあ面白かった。2008年はこの分野の作品に期待したい。順位は1位がダントツ、2〜9位はその日の気分で入れ替え可。適度にマイナー作品が入ってよかった。以下次点『ヘアスプレー』、『ボラット』、『河童のクゥと夏休み』。

『ディパーテッド』のテーマは強大な力とその正しい使いかだと思うが、『タクシードライバー』に出た俳優の作品『グッド・シェパード』、『ブレイブワン』もその系統にあるということは指摘しておきたい。前者はデ・ニーロ自身が演じる人物がセリフで言う通りだし、後者は自警がテーマではない。

それからタランティーノから数メートル離れたところで見た『デスプルーフ』は2007年一番の思い出。ラストの笑いと拍手は忘れられない。『グラインドハウス』は3本込みの評価。

そしてベスト男優はヘタレ英国王子と命名してあげたいヒュー・ダンシー。映画とドラマ各一本とは言えとは期待の星には違いない。次点はおまけでダグ・ジョーンズ、顔を出さないのはお約束としても『ファンタスティック・フォー』では声も奪われてしまったが、『パンズ・ラビリンス』がすべてを補う。

ベスト女優はケイト・ブランシェット、『あるスキャンダルの覚え書き』は役作りにも納得で彼女の映画としても近年ではベスト。ビル・ナイがわりと普通の役をやっているのもよかった。それまでの二人の生活を想像するのが楽しい。次点は『エンジェル』のロモーラ・ガライ。メアリー・エリザベス・ウィンステッドは『ダイ・ハード4.0』でもう少し活躍したら入ったかもしれない。

若手では去年あげておいたエレン・ペイジがアカデミー賞候補入りをしたが、今年は最近になってきれいになったエヴァ・アムリに期待したい。でも日本で見られるのでしょうか。

『パンズ・ラビリンス』これまではヴィジュアル・センスの方が際立っていたギレルモ・デル・トロ監督が良質の物語を獲得したことによって作り出した傑作。あれが少女の幻想か、現実かを越えて訴えかけてくるものがあったのは、今の時代とシンクロするものが根底にあるから。

『once ダブリンの街角で』音楽物ではあるが恋愛映画の定石も抑えている。限られた時間と場所、二人の間に立ち塞がる障害、越えることが出来そうで越えられない一線等々。ガイはロンドンに行って失敗するだろう。そしてイルランドに戻ってもガールはいなかもしれない。だからこそあのラストは印象的なのだ。*

『ディパーテッド』この映画のテーマは強大な力とその正しい使い方だと何度も指摘してきた。オープニングでこのテーマについて丁寧に説明しているのに、オリジナルのテーマを分かってないという人が少なくないのは実に不思議。

『クィーン』映画の出来で言えばトップかもしれないが、意外にセットやメイン以外のキャストが弱く、映画らしいスケール感に欠けるのでこの順位になった。しかしそれは女王(ヘレン・ミレン)とブレア(マイケル・シーン)の存在を浮かび上がらせることに成功し、それは監督が狙っていたことであることを考えるとこれで正解だと思う。*

『ルワンダの涙』物事には勝ち組もいれば負け組みもいる。その負け組みを描いた一本。ヒュー・ダンシーを認識した作品。

『アポカリプト』マヤ語の使用が話題になった。メル・ギブソンが撮ったこの映画は走る、跳ぶという動きで見せる映画の原点に立ち返ったような一本。

『ミリキタニの猫』着地点が見えているドキュメンタリーもいいけど、途中から予想外の展開をするこれの面白さは別格。監督が対象により過ぎたという問題もあるが、そこはミリキタニ爺さんがチャーミングってことで。

『エンジェル』1900年頃のイギリスに登場した勘違い女流作家の物語は、現代の日本とシンクロするところがあって笑える。映画を見た後で原作も読んだが、そちらは堕ちて行く様子も書かれているが映画ではその辺りは押さえ気味なのもいいアクセントになっていて面白い。*

『ウェイトレス 〜おいしい人生のつくりかた』一見するとシンデレラやあしながおじさんのようであり、自分の才能を過小評価している主人公が田舎を飛び出そうとする話である本作の最大のポイントは彼女自身がそうすると決断したことにある。出産がその切っ掛けになっていることで男しては何も言えなくなるが、実は変な人がほとんどの脇役も良い。秀逸なのは夫のダメさ加減を最低限の描写で表現しているところ。*

『グラインドハウス』これは『プラネット・テラー』『デス・プルーフ』『USA VER』すべてを含めての評価。両方ともに単純に楽しんだし、プレミアに参加することができタランティーノから数メートルの所で見た『デス・プルーフ』は、ラストの大爆笑と直後の拍手が忘れられない。それも含めて軍配は『デス・プルーフ』に上げておくが、タランティーノとロドリゲスの体質の違いがよく分かった企画であったと思う。簡単に言えばロドリゲスは一流の映画作家であり、タランティーノはとことん映画ファンである。それは消失したリールの行方から分かると思う。意地でも消えたままにしておいたロドリゲス、「ファンならあれが見たいと思うに違いない」と思うタランティーノ、映画人としてはロドリゲスの方が正しく、タランティーノはこれだけの作品を作りながらも自らの限界を露呈したことになる。DCタランティーノに対して切るところが違うと感じた人は少なくないはずだ、一方ロドリゲスの二つのヴァージョンは細かい点はともかく印象はほとんど違いがない。両作品で一番のお気に入りはマーリー・シェルトン。*


2006年のトップ10
  1. カポーティ
  2. グッドナイト&グッドラック
  3. プライドと偏見
  4. イカとクジラ
  5. プラダを着た悪魔
  6. ジャケット
  7. ハードキャンディー
  8. ホテル・ルワンダ
  9. ポセイドン
  10. X-MEN:ファイナル ディシジョン

2006年は上位の選出、上位3作品の順位付けに迷いなし。4、5位も秀作。それ以下は8位を除くとマイナス・ポイントが気になるので順位付けが難しかった。2006年を代表する男優はジョージ・クルーニー(次点:ジェフ・ダニエルズ、 キウェテル・イジョフォー)、女優はキーラ・ナイトレイ(次点:ローラ・リニー、ショーレ・アグダシュルー)。気になった若手はキャメロン・ブライト 、エレン・ペイジ、 ジェシー・アイゼンバーグ、 オーウェン・クライン。と言いつつ『エミリー・ローズ』や『 パイレーツ・オブ・カリビアン/DMC』は入らないのがポイント。

以下次点『スーパーマン リターンズ』、『007/カジノ・ロワイヤル』、『RENT/レント』、『マーダーボール』、『キンキーブーツ』。番外で『もしも昨日が選べたら』ケイト・ベッキンセールのナチュラルな老けメイク(この映画で日本人の辻一弘さんがアカデミー賞メイクアップ部門の候補に)。

『カポーティ』フィリップ・シーモア・ホフマンのそっくりさん度よりも、ストーリーの方が興味深い。カポーティとペリーの微妙な関係この映画を支配している。*

『グッドナイト&グッドラック』いわゆる社会派映画が多かった2006年だったが、トップはこれ。ジョージ・クルーニーはマッカーシーのやったことではなく、やり方を問いかけた。一見するとこのクルーニーの手法はずるいやり方に見えるがものごとは手続きが重要だという原則を思い出させてくれる。

『プライドと偏見』上位3作品は比較的監督としてのキャリアが浅い監督の作品がとなったが、今作も良い。まずは長い原作のエッセンスをうまく抽出した脚本と英国ロケによる風景。監督も長回しなどなかなか見せてくれる。まあ「結局キーラ・ナイトレイが好きなんでしょう?」と言われたら反論できないが、他のベネット姉妹たちも良い、ジェーンはやや原作とイメージが違うがロザムンド・パイクががんばっている感じが伝わってくる。でもキーラが上辺だけという設定のウィッカム役の人と付き合い始めたと言うのはこの映画のオチとしてはどうなんでしょう。

『イカとクジラ』見終わってすぐにはピンと来なかったが、しばらくしてからじわじわ来た作品。壊れかけの家族ではなく壊れてしまった家族のお話。父親の実用的ではない文学等からの引用の数々は、他人の不幸は蜜の味ならぬ、他人の悲劇は喜劇状態。親子四人の描き分けも素晴らしい。恐らくは監督自身の投影であろう父親の影響を受け背伸びする長男の描き方が絶妙。*

『プラダを着た悪魔』原作を分析して使えるところは強調し、使えないところはばっさり切ったその脚本がお見事。ラストのニューヨークという街の切り取り方も気に入っている。

『ジャケット』これは微妙な映画かもしれない。二通りの解釈が可能だが片方を取るとあまりにも劇中の謎が説明不足になってしまう。それでも画と音楽がもたらすこの映画のヒリヒリとした世界観が好き。

『ハードキャンディー』これまたストーリーは微妙。問い詰めるシーンは面白かったが、ラストでテンションが下がるの。ここは若いスタッフ(デヴィッド・スレイド、モリー・ナイマン等)と若い役者(エレン・ペイジ)の今後に期待。

『ホテル・ルワンダ』一見ショッキングな映画だが、主人公の選択が仲間のピンチを生む、逃げ出せたと思ったら失敗するなどパニック/ホラー映画の要素がうまく取り入れられている点も評価したい。

『ポセイドン』かったるい人情話や感傷的なシーンを作らないのはいいが、もう少し話を練りましょう。

『X-MEN:ファイナル ディシジョン』こうした単純なアクション映画が見たかったと言う思いと、キュアをテーマにした話でブライアン・シンガーに撮ってほしかったと言う思いが複雑に交差する一本。どちらにしてもキャラクターが多すぎて話が緩慢になっているのは残念。それでもキャメロン・ブライト 、エレン・ペイジ、ショーレ・アグダシュルーと2006年を象徴する脇役陣が出演していると言うことでランクイン。



2005年のトップ10
  1. ティム・バートンのコープスブライド
  2. コーチ・カーター
  3. 旅するジーンズと16歳の夏
  4. シン・シティ
  5. スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐
  6. チャーリーとチョコレート工場
  7. オペラ座の怪人
  8. 最後の恋のはじめ方
  9. ミリオンダラー・ベイビー
  10. ヴェラ・ドレイク

正直言って1位をどれにするか本当に悩んだ。今でも『コープスブライド』が1位に相応しいかどうかはよく分からない。今年は前半が不作で、アカデミー賞関連作品も含めて「悪くないけど、少し物足りない」と感じた作品が多かった。夏から秋の作品が充実していたと思う。今年のキーワードはダーク・サイドで(2)(4)(5)(9)(10)がそれに当たる。

以下次点『ロード・オブ・ドッグタウン』『愛についてのキンゼイ・レポート』『ミート・ザ・ペアレンツ2』『ヒトラー 〜最期の12日間〜』『ロング・エンゲージメント』『宇宙戦争』『銀河ヒッチハイク・ガイド』『キング・コング』

『ティム・バートンのコープスブライド』が『チョコレート工場』より上なのは音楽がこちらの路線が好きなこと。実はビクトリアもかなりのお気に入り。

『コーチ・カーター』人はなぜダーク・サイドに惹かれるのか、一度堕ちたダーク・サイドからは抜け出せないのか?一つの解答がここにある。

『旅するジーンズと16歳の夏』真っ当な青春映画は久しぶりな気がする。それこそダーク・サイドを必要以上に絡めたり、ホラーと融合しなくてもいい作品は作れるのだと示した作品。4人の女優がこれからもっと活躍して、数年後にこの作品を振り返ることが出来たら最高。

『シン・シティ』をほめるのは難しい。ロバート・ロドリゲスのデジタルな映画な作り方や、フランク・ミラーのカット割りをほめたところで説得力がない。ここは素直にフランク・ミラーの男の妄想全開万歳&ジェシカ・アルバ、ロザリオ・ドーソン、カーラ・グギーノ、アレクシス・ブレーデルが良かったと言っておく。

『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』ダーク・サイドといえばSW。これは悲劇であるからしてアナキンがダーク・サイドに堕ちる過程がうまく描かれていないという意見は的外れ。ヘイデン・クリステンセンにはやや荷が重かった気はするがお疲れ様。ユアン・マクレガーは規制の多い役をこなすのに苦労をしただろう。ナタリー・ポートマンはエピソード1の印象が強すぎた。エピソード3で得をしたのはイアン・マクダーミドか。

『チャーリーとチョコレート工場』は『コープスブライド』より順位は低くなってしまったが基本的な世界観はかなり好きで、工場もさることながらチャーリーの家の周りの景色などはとても気に入っている。ラスト近く親子の邂逅も許せる範囲、ただそれがチャーリーに指摘される点あまりだけはどうしてもピンと来ない。チャーリー役の子役が好きでないのも関係しているのかもしれない。

『オペラ座の怪人』こういう順位をつけるときに困るのは好きな部分と嫌いな部分がかなりある場合。以下不満点、ジェラルド・バトラーの歌唱の力み、芸のない演出(とくに鑑抜けから地下への場面)、お墓のセットのしょぼさ。一番好きなのは「エンジェル・オブ・ミュージック」。

『最後の恋のはじめ方』ウィル・スミスのラブコメなんてと思ったが、見たら予想以上に笑えた。エヴァ・メンデスも好みだし、気軽に見る分にはいい。

『ミリオンダラー・ベイビー』これは原作の短編集を読んでから観た。実は当時から小さな違和感を感じていた。それは脚本担当ポール・ハギスの監督デビュー作『クラッシュ』を見てある程度分かった気がする。どうやら彼は暗い話の中に甘い要素を入れるのが好きようだ。具体的に言えばこの映画は短編の『ミリオンダラー・ベイビー』をメーンに『凍らせた水』を加えたわけだが、これらを合わせる過程でつなぎとして甘い要素が混入された。しかしその甘さはイーストウッドが演出でうまく処理していたので、前面には出なかったのだ。それが分かったという意味でも『クラッシュ』を見てよかった。

『ヴェラ・ドレイク』普通の主婦が堕胎に手を貸すというダーク・サイドなお話。俳優も自分の演じる役以外のことは事前に知らせないという監督マイク・リーの手法によりリアリティは抜群。過剰なものはなく、ヴェラがいつ、どうしての中絶に係わっていたのかもはっきりとさせない淡々とした時間の流れに物語を乗せてゆく手法はお見事。不満点はこの中絶という行為が当時の倫理観、医学的見地でどのようなものであったか不明な点。劇中で裕福な家庭の中絶に関して描いていたがそれよりは最初か最後に字幕で触れてもよかったのではないか。ちなみにドレイク家の家族の顔があまり似てなくて家族に思えなかったのは少数派?



2004年のトップ10
  1. ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還
  2. スクール・オブ・ロック
  3. 五線譜のラブレター DE-LOVELY
  4. フォッグ・オブ・ウォー
  5. デイ・アフター・トゥモロー
  6. 堕天使のパスポート
  7. ビッグ・フィッシュ
  8. インファナル・アフェア 無間序曲
  9. ヘルボーイ
  10. 恋愛適齢期

正直何のひねりもなく、(9)以外は全米No.1ヒット作・アカデミー賞受賞作やゴールデン・グローブでノミネートされた作品がずらりと並ぶ。その分マイナー/単館系の作品にこれといったものがなく小粒だった印象があるのが2004年。思い入れ度は文章の長さと内容で判断してください。

ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還  前作「二つの塔」の終盤の煮え切らない展開が嘘のようなサクサクと進むお話がお見事。二つの戦いが似てはいるのはやや気になるが、これだけの作品の前には小さな不満など吹っ飛ぶ。ただ、自分が映画にかけた情熱では前2作に劣っていたかもしれない。

スクール・オブ・ロック  これは2004年一番笑えたコメディ。コメディはありがちな展開でいいのだ。音楽的に偏りがあるという人もいるようがだ、八方美人のほうがつまらない。

五線譜のラブレター DE-LOVELY  これが気に入るとは自分でも意外。ケヴィン・クラインの熱演は当然として個人的にはなんと言ってもアシュレイ・ジャッドの笑顔、これにやられた。とくに好きな女優さんでもないのだが、この映画だけは特別。

フォッグ・オブ・ウォー  「ディープ・ブルー」や「華氏911」よりも面白かったドキュメンタリー。

デイ・アフター・トゥモロー  本サイト的にはもう少し上位でもいいのだが、映画として評価はこんなところ。天災映画としての前半にはかなり満足している。

堕天使のパスポート  これは邦題も原題の「DIRTY PRETTY THINGS」ともに映画の内容が見当つきにくい題だと思うのだが、実際に映画を観ると納得する。主演は「アメリ」のオドレイ・トトゥとなっているが、実際にはキウェテル・イジョフォーが主役で、今のジャイモン・フンスーの立場に彼がなってもおかしくないほどの実力だと思う。話はある意味で現実的にはありえない展開をするのだが、ラストはビターなハッピー・エンドとでも言うべき内容。

ビッグ・フィッシュ  これはティム・バートンの最高傑作ではない。しかしこの映画に描かれている父親の死や息子の誕生ということが彼自身にも起こったことをしてバートンも丸くなったという意見には異論を唱えたい。数年後には彼の持ち味とは違う原作をうまく利用して作風を広げた一本として評価されるようになると思う。今から盟友というべきジョニー・デップと組む新作「チャーリーとチョコレート工場」「Corpse Bride」が楽しみで仕方ない。一本の映画としても睡蓮をバックにしてのプロポーズ・シーンや風呂でのジェシカ・ラングとアルバート・フィニーのシーンなど美しいシーンがある。

インファナル・アフェア 無間序曲  前作「インファナル・アフェア」の衝撃には敵わないものの中々の力作。古今東西のマフィア/やくざ映画を思い出す箇所があるのはやや残念な気もするが仕方ないだろう。ハウ役のフランシス・ンの存在感がお見事。

ヘルボーイ これは監督の原作への愛で溢れている一本。思わず原作のコミックまで買ってしまった。これはロン・パールマンのはまり具合もお見事だが、セルマ・ブレアが演じるリズ・シャーマンに惚れた。

恋愛適齢期 ロマコメは「ラブ・アクチュアリー」も悪くなかたっが、余分なエピソードが多かったので、こちらにしてみた。


2003のトップ5
  1. めぐりあう時間たち
  2. インファナル・アフェア
  3. 歌追い人
  4. リベリオン
  5. HERO-英雄-

2003年は拡大公開された大作よりもこうした中規模で公開された映画が充実していたと思う。とくに(1)(2)は観終わった後に余韻にどっぷりと浸れた映画。

「めぐりあう時間たち」 は三つの時代の切り替わりも見事で素晴らしい。女優陣ではニコール・キッドマンも悪くないがなんと言ってもメリル・ストリープが良い。一番我儘な人生を送った役を演じたジュリアン・ムーアも捨てがたい。ニコールの演技もつけ鼻だけが語られるのはもったいない。ただ作品としては肌に合う人とそうでない人の差は大きいことは否定できない。個人的にははフィリップ・グラスの音楽がうるさいことが気になる。

「インファナル・アフェア」 ダブル潜入というアイディアを織り込んだ脚本も素晴らしいが主役の二人の演技に尽きる。トニー・レオンの疲れきった表情での、マフィアから足を洗いたいという訴え、ラストで無間地獄に足を踏み入れてしまったアンディ・ラウの表情、どちらも好き。

「歌追い人」 が出てきてようやくEmmy Fan!らしくなったわけですが、これに関しては こちらも参照してください。映画館で見たときには同性愛や不動産業者の話は余計な気もしたが、DVDで観るといい感じで話に奥行きを与えている。南部の生々しさの描写もアメリカ人ではないJKにとっては興味深く、この点では「コールド・マウンテン」よりいいと思う。

「リベリオン」 はガン=カタ・アクションに尽きるが、世界観も悪くない。この映画自体「マトリックス」の二番煎じと言われるわけだが、ガン=カタをパクったアクション物のテレビ番組やマンガも存在するようだ。エミリー・ワトソンはヒロインとしては若くないが意外にもSFファンなのでOKしたらしい。DVDのコメンタリーは監督が低予算を嘆いていて面白い。アクション・シーンとガン・アクションだけを取り出した特典映像もナイス、ただ英語字幕がないのが残念。

「HERO-英雄-」 は思ったりよりアクションはトロいし、問題がないわけではないが、これだけのキャストを集めただけあって楽しめる。トニー・レオンの達観した姿と秦王役のチェン・ダオミンの演技が見事。「インファナル・アフェア」を知るきっかけになったことも忘れられない。

『カポーティ』
アカデミー賞主要5部門ノミネート、主演男優賞受賞。春から見かけた予告、アメリカから1年遅れの生誕日公開。

もちろんカポーティをリアルに感じる世代ではないので伝記で予習。そこから入ると美青年時代のカポーティと今回のフィリップ・シーモア・ホフマンの姿が重ならない。、WEBを検索して出てきた動画はもう少し後のもののようで、これを見るとホフマンがうまく特徴を捉えていることが分かる。

監督のベネット・ミラーはこれが長編劇映画は初ということだが、全体の大きな流れを作っていて主人公であるカポーティすらその流れに飲み込まれているかのよう。

パーティーの場面を所々に入れながらも主人公カポーティは、パーティー好きセレブというよりはユーモアのある頭のいい人間として描かれている。捜査官の妻が彼に魅了されるところなどはうまい。

共演者ではクリス・クーパーはさすがの存在感だが、出番が少ないのは寂しい。キャサリン・キーナーもうまいが助演にノミネートされるほど印象的ではない。幼なじみというよりかなり年上に見える(本人は2歳、役者は7歳、彼女の方が年上)。これがカポーティの幼い顔立ちを引き出す効果だとしたら大したもの。ペリー・スミス役はイケメン過ぎるかなと感じたが、家に帰って実物を確認するとけっこう似ている。

「冷血」に係わる映画なのでカポーティのパートナーに関する描写が少ないのは仕方ないが、カポーティをよく知らない人には不親切か。何度か予告を観ていたはずだが、本の題名を「冷血」と決めたときに話していた相手がクリス・クーパーだったと気付き少し驚いた。

カポーティが「冷血」の結末を悩み(伝記を読むといつもこれに苦労している)、ペリーに対して友人として接するか、取材対象として接するかの葛藤がこの映画のクライマックス。この関係は「羊たちの沈黙」のクラリスとレクター博士の関係を思い出した。レクターは意識してクラリスの心の中に入るわけで一殺人犯が有名作家の心を乱す描写は興味深い。ここは取材者の取材対象に対するモラルというよりこういった個人の関係で捉える方が面白いのではないだろうか。この辺りはパンフレットの監督と脚本家の対談が詳しい。

その一方でこの終盤には若干の不満がある。裁判や死刑執行に関する情報の多くが字幕で説明され時間の経過が感じられにくい。ありがちだが当時の事件のフィルムを入れるとかヒット曲をBGMにするという手もあったはず。ネル・ハーパー・リー作「アラバマ物語」の出版、映画化がその役割を果たしているのかも知れない。

『イカとクジラ』
「あー、ここでくるか」と思いながらあっさりと終わってしまった本作、アカデミー賞脚本賞候補になった映画の内容はニューヨークが舞台と言ってもウディ・アレンとはやや違う。「ロスト・イン・トランスレーション」から下らないギャグを除いた感じだ(と言っても個人的には「ロスト・イン〜」は苦手)。

作家だが現在は大学講師をしている父親と新人作家として認められてきた母親、インテリ夫婦の離婚に始まるドタバタに巻き込まれる兄弟をめぐるお話。父親のジェフ・ダニエルズもいいが、注目はやはりローラ・リニー。子供をあだ名で呼ぶ姿は彼女らしくキュートだが、鏡の前で口の周りをチェックするリアルさは情けなくもあり笑える。作家として売り出し中であり、モテモテ状態の彼女が輝いていないのはおかしいわけで、 これは父親寄りの長男=監督の視線の反映と言える。

長男は現代で言えばベック似、発表から数年経ったとは言え大ヒットアルバムの曲をパクるとは、トホホ。せめてシングルのB面にするとかしなさい。まあ歌詞に意味があるので仕方ないのだが。まだ顔つきは幼い顔してビールを飲んだり、オナニーしたりと、難しいとまで言わないまでも変な次男役を見事にこなすのはケヴィン・クラインの息子。

基本的に取り留めのない話だが終盤での話の転がし方はうまい。自分は父親っ子で彼からの影響が強いと思っていたのに、母親からの影響の強さも知る。それはその二人とは違う“自分”になるためのなるの通過儀礼なのだ。最後のシーンもそうだが、この映画はそうした通過儀礼の過程を描きながら、そうした行為そのものをいくつか避けている節がある。それが中途半端に感じるか、余韻があっていいとするか意見が分かれそうだ。

というわけで興味深い作品ではあるが、ノア・バームバックの監督としての評価は次回作以降まで保留としたい。

『ONCE ダブリンの街角で』
Guyを演じるグレン・ハンサードのギョロっとした目がいい。驚いたときの表情などが絶妙。彼はアラン・パーカー「ザ・コミットメンツ」にも出ていたそうだが、しばらく見ていない(DVDは持っていない)。むしろ男が女性と出会うことで曲を完成されると言う意味では「ラブソングができるまで」を思い出した。もちろん内容は大きく違う、この映画には間違ってもiPodなどは出てこない、出てきても携帯用CD止まり。しかしそれがあるエピソードを引き出しているのは感心した。ミュージシャン志望のGuyはギリギリ30手前くらいだろうか、母親が死んだのでロンドンからダブリンに戻り、掃除機修理屋の父親と暮らしながらもプロになる夢を捨て切れていない。対するマルケタ・イルグロヴァが演じるGirlは、東欧からの移民だ。つまり同じ貧乏でも一人は好調のアイランド経済からの恩恵を受けずに、もう一人は好調なこの国に仕事を求めてやってきたという違いがある(ちなみにボロボロなギターはロリー・ギャラガーへのオマージュか)。

Girlが東欧からの移民と言っても「あなたになら言える秘密のこと」ほどの重い秘密があるわけではない。あの年で子持ちと言うのもいいとして、それでいて英語の喋れない母親と同居に旦那は本国チェコで健在というのは自然な物語であるこの映画でやや気になった点だ。ただ旦那がいることがストッパーになっている(ちなみにマルケタは日本人好みのルックスだと思う)。監督は自然な映画を目指したらしい。アイルランドに行ったことはないので分からないが、酒場の場面はいかにかといった感じだ。映画としてはレコーディングの準備からのテンポが良く、笑える要素もいいアクセントになっている。

ラストはあれでいいと思う。二人でロンドンに乗り込んでレコード契約も獲得して大ヒットなんて都合よく行くはずがないのだから。そう考えるとこれはこれできれいな終わり方なのだ。一応今のと逆のエンディングも撮影したそうだが、二人が向き合うことになるのが海とスタジオの場面という少ない回数で、そこでの抑制が効いた演出が映画の鍵にになっているので今のままのほうがすてきでいい(海でのチェコ語のセリフはIMDbにあるが、どちらに解釈してもいいと思う)。というわけで見ているときよりも、見終わってからじわじわとくるタイプの映画。

『クィーン』
『ヘンダーソン夫人の贈り物』の日本公開が遅れたためにスティーヴン・フリアーズの新作がまた見られる。最初にこの映画の話を聞いたときに勝手にドロドロした「英国王室、愛と苦悩の7日間」みたいな映画だと妄想して不謹慎な!と思っていたが、積極的に情報を集めなくてもエリザベス女王個人を中心に描いた映画だとわかってきた。似ている、似ていないはあまり問題ではない。クィーン・マザーの存在が面白かった。チャールズの出番は少ない。彼のハイライトはブレア首相と共闘しようとする場面。

この辺はピーター・モーガンの脚本がうまい。『ラストキング・オブ・スコットランド』では色を付けすぎたがここではダイアナ絡みのドロドロした部分は極力無視し、確かに彼、彼女はこう言ったかもしれないと思わせるものになっている。

この映画は女王とブレアの新旧価値観の対立という静かな戦い(本来ならブレアに勝ち目はないが女王が国民の声を無視できなくなる)の末に女王が根本から変えることは拒否しながらブレアの提案を受け入れる過程である。王室と国民との温度差をどう解消するか、監督の視線はそれを離れたところから見ている。それはこの監督とこの家族との距離感なのだろう。

主演のヘレン・ミレンはなりきり度よりも自然な振る舞い方に感心。そして女王に対するのは首相に選出されたばかりのトニー・ブレア、今世紀最年少首相と言っても夫人言わせるとマザコンでどこか頼りなげなこの役を演じるのはマイケル・シーン。私生活では夫婦共演映画(『アンダーワールド』)撮影中に嫁(ケイト・ベッキンセイル)を監督(レン・ワイズマン)に寝取られるという過去を持つ彼の演技が面白かった。まあブレアももうすぐ辞めると言われているわけでそれを示唆するかのようなセリフを入れるのは現状を考えれば仕方なしか。

鹿のシーンはどのようにも取れそうだ。パンフの監督によれば王室のメタファーだそうだがパパラッチに追われるダイアナのようでもある。

『エンジェル』
まずはタイトル・ロールを演じたロモーラ・ガライについて、映画とIMDBでの写真では印象が違う。IMDBの一枚目はケイト・ブランシェットに似ている。ということはエラが少し気になるということだ。この映画の中では赤いドレスのときが一番きれいだ。最近の映画ではスカーレット・ヨハンソンの『タロットカード殺人事件』に主人公の居候先の友人役で、キーラ・ナイトレイの『つぐない』ではキーラの妹役を演じる女優の一人として出演している。

この映画は大傑作だと言うつもりはないが、とても興味深い。ヒロインのエンジェルは 本を読むより書くことが好き。それも取材もせずに自分の想像力に任せて書く。それを出版社に送りつけ、出版の話が出たときに明らかな間違いを指摘されても、一文字一句変えるつもりはないと言い張り出版させる。出来上がったのは低俗な恋愛小説、それが人気を呼び舞台化されるといかにも陳腐な内容の劇となる。もうこれだけで現代日本の携帯小説やその映画化作品のようで笑ってしまう。しかもこれがオリジナル脚本ではなく、監督が発掘してきた50年代の小説で、その作者名がエリザベス・テイラーというのだから出来すぎた話だ。

パンフレットによるとエンジェルに対して原作は最後まで辛辣で、映画はそれに比べると同情的とのことだが、映画から受ける印象としてはエンジェルがかつて憧れていた豪邸パラダイスと夫を手に入れるまでのエンジェルに対する監督の視線はシニカルで、テクニカラーを屈指した黄金時代のハリウッド・オマージュで語られる様子はコメディの領域に達している。終盤、時代やパートナーに取り残されることになるエンジェルに関しては不幸を畳み掛けることなくゆっくりと描くことで不幸の度合いを和らげ、彼女が堕ちてゆく様子を少し離れた視点から描く、これを同情的と見るかどうかはともかく(シャーロット・ランプリング演じるハーマイオニーに彼女の人生を肯定させるのはやや違和感が残る)、映画としてはうまく物語を締めている。やはり無意味に派手な衣装や言動等の彼女の勘違いぶりが印象に残る。

『ウェイトレス〜おいしい人生のつくりかた』
映画の冒頭田舎のダイナーで女性従業員が3人集まってヒロインの妊娠を知るが、彼女は浮かない顔をしている。既婚者だから不倫かと思うと、夫との関係が悪いことが分かる。やがて彼女は担当の産婦人科医に心惹かれることになる。一見「いつか王子様が」風だがケリー・ラッセル演じるヒロインはできれば田舎から抜け出したい(全米パイ・コンテストに出場)と思っていながら、どうしてもそうしたいとまでは思ってない。夫にコンテストに出る資金を頼むのは単なるポーズであり、ヘソクリの仕方も中途半端だ。その意味ではこの映画は主人公が自分の才能を正しく理解せずに、それを他人に発見される物語でもある。映画の結末があまりにも女性映画的だと感じる人もいるだろうしそれは否定できないが、最終的には今いる地点から抜け出す主人公が他人に頼ったのではなく、あくまでも自分が切っ掛けを作ったことに注目すると見方が変わるはずだ。

監督エイドリアン・シェリーが実際に妊娠したときのことを参考にした脚本だけあって、ダイアローグなどはリアル。もちろん限られた空間の話なのでキャラクターによってはある面を強調されていたり、また逆だったりするが、ダメ亭主の描写は実際にきつい暴力シーンはなくても数々の行動が嫌な奴であることを証明しているあたりはお見事。もちろんコメディ・パートも色々ある、中でもヒロインと産婦人科医との場面は「今どきこんな演出をするか!」というくらいにベタベタでおかしい、このときのケリー・ラッセルの(チラシ等でお馴染みの)笑顔が白々しくて最高だ。よく考えるとヒロインとダイナーのオーナー以外の登場人物はどこか歪んでいる。そしてパイもあまり奇麗な色ではないような気がするがそれも計算の内なのだろう。季節の移り変わりなどはほとんど無視しているが低予算なので仕方ない。

『グラインドハウス』
クエンティン・タランティーノ、ロバート・ロドリゲス両監督によるグラインドハウス・プロジェクト、アメリカ版での上映。事前の期待値の高かった『プラネット・テラー』より(事前に見ているとは言え)『デス・プルーフ』のほうが面白かった。恐らくロドリゲス監督はグラインドハウス映画を研究し、その再現に熱心になったのだろう。リールの紛失や画質の加工など苦労の跡がうかがえる。しかし結局は皮肉にも優等生的な映画に仕上がってしまった。それに対してタランティーノ監督はグラインドハウス映画を単純に踏襲することはせずに自らの頭をグラインドハウス化し、作り上げたものがグラインドハウス映画になったという感じだ。ただしそれはそれで弱点はある。結局は両監督の年齢や資質が微妙に影響している。

それから一本目がゾンビ映画、二本目がそれを引きずって湿度の高い空気で始まり、ラストはからりと終わる。やはりこの順番がいいので単独公開も公開順を逆がよかった。 ところでこの映画は『ポセイドン』組がなぜか多い。『プラネット・テラー』にフレディ・ロドリゲスとファーギー。『デス・プルーフ』にはもちろんカート・ラッセル。そしてスタント・ウーマンのゾーイ・ベルも『ポセイドン』に参加していたのだとか。フレディ・ロドリゲスは監督の親戚でもなんでもないがラテンの結束は固いのだ。

『プラネット・テラー』
これは惜しい。残念ながらキャラが立っていない。ローズ・マッゴーワンの足機関銃で押すべきなのに、終わり近くならないと装着しないとはどうしたことか。エル・レイの無駄な強さなどは悪くないがこちらも物足りない。マリー・シェルトンもポスターでの印象が強すぎて立場が弱そうに見えない。ただ彼女が子供への忠告する場面は面白かった。

『デス・プルーフ』
前半がダラダラしていると評判の本作だが、カットされているパートは後半の方が多い。つまり映画人タランティーノとって重要なのは新しいおもちゃを使って撮った脚でも テーマにしたはずの車でもなく、おしゃべりなのだ。スラッシャー映画のはずが最後にはガールズ・ムービーになってしまった脚本といい、ある意味では彼の限界も感じるのだが、今回もラストでは笑いと拍手が起こった。これはこれでいいのである。

『プラネット・テラー in グラインドハウス』
U.S.A.バージョンに続いてDC版も見たが、全体的な印象はあまり変わらない。細かい箇所が多く追加されていて『デス・プルーフ』の追加部分とは違い何分追加というのがほとんどない。この事に関してタランティーノとロドリゲスを比較すると面白い。グラインドハウスでのお約束である(?)リール消失の場面をタランティーノは復活させ、ロドリゲスはそのままにしておいた。ふつうの監督なら復活させないが、それをやってしまうのがタランティーノなのだ。なにもそれは自己満足ではない。映画ファンなら無くなったあの部分を見たいと思うに違いないと考えた結果がこれなのだ。それはそれで正しい。

全体としては二度目ということもあり、各キャラクターを観察しながら見ることができた。初めてに言ったように大きく印象が変わることはなかったが、今回は女医に思い入れしながら見ていた。それでもシッコ以外の敵側のキャラクターの弱さは前回感じたのと同じ。

ところで、トム・サヴィーニとホルガー・シューカイは似ている。ある時点からあまり老けた印象がないのも似ている。

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